神戸とお茶のお話 その①

 以前、作品「杉の柩」を取り上げた時(2020年4月5日)、お茶の歴史について簡単に述べさせていただきました。今回から数回にわたって、我が町・神戸とお茶の歴史をたどっていこうと思います。 よろしくお付き合いいただければ、嬉しい限りです。

 

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 明治元年 1868年に始まった戊辰戦争は、後に日本を外国との本格的な交易(商業)の時代に導いていきます。

当時の日本では諸外国と商売をする上で有望な工業製品は乏しく、主に絹製品と並ぶ重要な製品は””でした。

この商品たちは横浜港と、平清盛が拓いた湊(兵庫津)現在の神戸港から主に輸出されていきました。

次の表は当時の主要輸出産物の一覧です。

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 明治30年以降は総量が下落していますが、明治15年では、茶は輸出額のトップとなっていました。次の地図は陸軍参謀本部明治18年に測量した神戸市の旧葺合区(現中央区)の一帯です。赤枠で囲まれたエリアが茶畑でした。ここは六甲山系が神戸港に向かって、なだらかな勾配を持った、丘陵地(扇状地)になっています。

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 次回は現在ビジネス街に変貌した居留地に存在した茶の加工場についてお話いたします。