神戸とお茶のお話 その④ 最終回

 前回までに、神戸市灘区一帯の扇状地で明治時代にお茶の栽培がおこなわれていたことをお伝えしました。

 次の図は、今までにご紹介したものと同じ地図ですが、左の部分には川沿いに赤い矢印を記しておきました。これは川(旧生田川)に沿って据え付けられた水車の位置を示しています。

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 六甲山系から海岸へとなだらかに坂となっている地域では、川の流れを利用した水車が多数存在したようです。水車を利用して、穀物の製粉が盛んにおこなわれたようで、小麦は麺を作るのに重宝されたようです。

 


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 上の動画は当時の水車を再現した、今なお現役の水車です。こういった水車が稼働していた風景は、現在の神戸ではなかなか想像に難しいものです。

 さて、水車の利用は製粉だけではありません。植物から油を搾ることにもその力は発揮されました。菜の花から搾った菜種油は、それまでの魚を搾って得られた魚油よりも匂いが少なく、照明として日没からの生活時間を大いに伸ばすことに役立ちました。(魚油は匂いが強く、長時間の使用には向かなかったようです。)

 そのため、この技術が江戸に伝わり、一日二食の生活から現在に至る三食の習慣が出来たといわれています。

 

 

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