第16回 教えてアガサセミナーのチラシ、完成しました。

 早いもので、”教えてアガサセミナー”は場所を変えつつ通算で16回を迎えます。

毎回、知恵熱が出そうなほど頭を痛めるのですが、終わったあとの爽快感がたまらず、

今日に至っています。さて、次回は『バートラムホテルにて』を取り上げます。

その予告チラシは次の通りです。

 

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さてこれからは、いつものテキスト作りに励む毎日となりそうです。

 



同窓会は楽しい?!

 しばらくアガサ作品「バートラムホテルにて」に集中して、アップしています。

もちろん次回の「教えてアガサセミナー」の題材でもあるからですが、1965年発表のこの作品時、作者アガサ女史は75才でした。今どきの表現ですと「後期高齢者」となります。

徐々に昔を知る仲間が減っていき、それに反して世の中の変化のスピードは加速するばかり。見る見るうちに変貌を遂げる社会に抗い抵抗するうち、諦めがそっと忍び寄ってきます。バートラムホテルにての文中にも次の様な文章が見られます。

 

バートラムホテルは変わっていなかった。ミスマープルはいつもながらの明晰な常識でよく分かるのだが、昔のままの色合いで過去の思い出に磨きをかけてみようと思っただけである。彼女の人生の多くはやむを得ないことであるけれど、過去の楽しかったことを思い起こすことで費やされている。その思い出をおぼえているような人にでも出会うことが出来れば本当に幸せである。翻訳27頁

But Bertram’s Hotel had not changed.
She knew quite well, with her usual clear-eyed common sense, that what she wanted was simply to refurbish her memories of the past in their old original colours.  Much of her life had, perforce, to be spent recalling past pleasures. If you could find someone to remember them with, that was indeed happiness.  原文16page 

 

 他の作品(特にミス・マープルシリーズ)にも、変わりゆくイギリスの田舎風景がよく描かれています。それはどうしようもないことなのだ、という諦めに近い表現でマープル(アガサ本人?)の心情が吐露されています。

 

 

 仕事を離れた初老の男性(もちろん女性も)が、長らくあっていなかった旧友と同窓会で、お互いだけに通じる話に興じるのは、『その思い出をおぼえているような人にでも出会うことが出来れば本当に幸せである。』だからでしょう。

アガサ作品にふれると、しばし考えに深く陥ることがあります。この作品もそんな一冊です。

挿入された過去の作品

この前の西インド諸島旅行など叔母さんはけっこう楽しんでいたらしいからな。もっとも殺人事件なんかに巻き込まれたのは気の毒だったけれど。

翻訳本 25頁

She enjoyed her trip to the West Indies, I think, though it was a pity she had to get mixed up in a murder case.

原文 14page

自分の作品の中に過去の作品を挿入することを絵画の世界では「画中画」というそうですが、小説の場合はどういうのでしょうね。

“バートラムホテルにて”は1965年に発表されています。文章内での西インド諸島とは、おそらく前年1964年発表の“カリブ海の秘密”のことを表しているのでしょう。

こういったいわゆる“お遊び”は、多作でしかも一定の水準を保持した作家に許されることなのではないでしょうか?

 

ちなみに絵画の世界の一例として、フランスの点描画で有名なジョルジュスーラ(1859-1891)が描いた作品に、この趣向が見られます。

 

バートラムホテルのモデルは?

バートラムホテルはずっと昔からそこにあった。1955年にはこのホテルは1939年当時とそっくりになっていた。---中略--- 中に入ると、バートラムホテルに初めての人だったら、まずびっくりする。もはや消滅した世界へ逆戻りしたのではないかと思う。時代が後戻りしている。まるでエドワード王朝時代の英国なのである。
小説7~8頁

Bertram’s hotel has been there a long time. By 1955, it looked precisely as it had looked in 1939. Inside, if this was the first time you had visited Bertram’s hotel, you felt , almost with alarm, that you had re-entered a vanished world. Time had gone back. You were in Edwardian England once more. Page 1~2

作品ではバートラムホテルは、以上のような描写で表されています。実際のホテルをモデルにしたようですが、イメージに合致するホテルはどんなホテルでしょうか?
これは各自の想像のままに、思い浮かべるのが正解でしょうがここに一冊のアガサクリスティー作品を読むにあたって大変参考になる著書があります。

 

『アガサクリスティー百科事典 数藤康雄氏・早川文庫』著者は確か、イギリスまでアガサ女史に会いに行かれた方で、作品にまつわる多くの貴重なアドバイスが収められています。ぜひ一読ください。

この本では、バートラムホテルのモデルは、レミングホテルあるいはブラウンズホテルでは?と、されています。

 

 

 


どちらもいかにもイギリス・ロンドンらしい趣を持ったホテルですね。
(写真・文章は、“ロンドンのホテル・旅名人ブックス 日経BP企画”に依ります。)

*一部8月30日の内容と重複する箇所があります。念のため

 

 

アガサの嘆き

セリーナ夫人は画家にはほとんど興味が無いどころか、芸術関係のことにはすべて興味を持っていなかった。

夫人は作家とか画家音楽家の類は、りこうで芸をする動物の一種だと思っている

本文24頁

 

Lady Selina had little interest in painters,

Or indeed in anything artistic. She regarded writers,

artists and musicians as a species of clever performing animals.

Page 13

 

 

 アガサ女史は他の作品にもこういった人間描写が見られます。(オリエント急行の殺人にもあったような・・)よほど、芸術に関心のない人に苦い経験があるのか、アガサ自身も作家ですから、きっとこういう人物に手痛い思い出があるのでしょう。


アガサ女史の人間観察は鋭い所があり、それは主にポアロではなく、ミスマープルの口を通して感じられます。
 

 

エドワード王朝 近代イギリス黄金時代

 中に入ると、バートラムホテルにはじめての人だったら、まずびっくりする-もはや消滅した世界へ逆戻りしたのではないかと思う。時が後戻りしている。まるでエドワード王朝時代の英国なのである。 本文8頁

Inside, if this is was the first time you had visited Berrtram’s ,you felt, almost with alarm, that you had re-entered a vanished world. Time had gone back. You were in Edwardian England once more.
原書 page 2

 クリスティーの作品には“エドワード朝時代” (Edwardian era)という言葉が散見されます。
エドワード7世(1841年-1910年)は、ビクトリア女王とご主人アルバート氏との間の息子で、女王が長く王権に属していたので、彼が王位に就いたのは、すでに60歳近くになっていました。

 

 

 

 母親が彼に王位を譲らなかったのは、アルバート公の早世のショックで公務に消極的になって、隠遁状態になったことでした。周囲の不満にもかかわらず、イギリス国家としては、南アフリカボーア戦争)、アジア(アヘン戦争)などを通じての植民地獲得など、パックスブリタニカ(イギリスによる世界秩序)と呼ばれる時代を、迎えました。

 クリスティーはこのころ20代の半ば(1890年生まれ)、大いに繁栄する母国を誇りに思っていたのかもしれません。

 

 

今回の参考資料
イギリス史10講 近藤和彦氏著 岩波新書
王様でたどるイギリス史 池上俊一氏著 岩波ジュニア新書
イギリス王家 12の物語 中野京子氏著 光文社新書

 

教えてアガサ・セミナー項目 カ行 

⛵ グランドツアー

ところでと、あなたはイタリアに入っておられたんですね。教育の仕上げのために、例のこのごろでは、どこのお嬢さんそういうところへ行かれるようだけども。
バートラムホテルにて。P122  乾 信一郎 訳  ハヤカワ文庫

Let me see now. You’ve been in Italy, haven’t you, finishing your education there at one of these places all girls go to nowadays?
AT BERTRAM’S HOTEL P90 

弁護士エジャトンが、17歳の娘エルヴィラ・ブレイクに話しかける場面。

 

1965年発表 ミスマープルものとしては10作目、”バートラムホテルにて”は、莫大な財産を相続する資格を持つエルヴィラ・ブレイクを軸に、さまざまな人間模様が渦巻きます。舞台は英国の伝統を受け継いでいるバートラムホテルです。

 

イギリスの貴族の間では、子息や娘の教育の仕上げとして、大陸(イギリスから見て)へ、彼らを旅に出していたようでした。この風習はグランドツアーと呼ばれ、15世紀辺りから始まったようで、時はあのヘンリー八世の時代です。

 



英国らしい騎士道と学問の伝統が、彼らをして大陸の文化を吸収することが、「文化的後進国」イギリスの将来を担うための必要事項だったのでしょうね。ちょうど維新後の開国日本が、先を行く帝国に追いつくため、鹿鳴館文化を無理をして作り上げたようなものかもしれません。