ABC殺人事件より 鉄道の歴史 運河・馬車の時代 ③

 話は少々横道にそれますが兵庫の運河と、明治政府が手掛けた鉄道の始まりについて、ほんの少しだけ。

  日本の運河というと、北海道の小樽が有名ですが、わが街神戸にもその昔平清盛がそのきっかけとなる“兵庫の津”を造成しています。

 津というのは本体”港”を表すようですが、彼は遠く宋の国との交易のため、この施設を作ったそうです。明治に入って、兵庫の津辺りに、西風の影響を受けないように兵庫運河を作ることになります。

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左より、1886年明治19年。1908年・明治41年。現在の兵庫運河。

 本題にもどります。文久三年・1863年、 長州藩(現山口県)の藩士井上聞多(馨)、遠藤謹助、山尾庸三、伊藤俊輔(博文)、野村弥吉(井上勝)の五人は、西洋の進んだ文明を学びにイギリスへと向かいます。

 

 この中の野村弥吉(井上勝)が、のちに日本の鉄道の父となり、新橋横浜間に初の蒸気機関車を走らせる立役者になりました。

 

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長州ファイブ

 

 この時、明治維新の中心人物、薩摩藩西郷隆盛大久保利通は鉄道の価値に疑問を持ち、導入に消極的でした。当時の錦絵には、海上を埋め立てて走る風景が描かれていますが、これは薩摩藩が占める用地を避けるため、海の上を走らざるを得なかった歴史があるそうです。

 

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 イギリスの援助を受け、鉄道の製作に着手した明治政府ですが、国土が狭く平地の少ない日本には、イギリスで使用されているレール幅(1435ミリ)は、不向きという指導の下、狭軌(1067ミリ)を採用することになります。この368ミリの数字が後々の鉄道運営で、大いに苦しむ原因となりました。

 

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参考映像

線路に歴史あり! 新橋〜横浜 鉄道ことはじめ【鉄道の日】Historical Shimbashi to

Yokohama Railway Line


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