神戸のお茶について

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アガサキリスティーの作品を調べていると、思わぬ歴史や事柄を発見します。
作品「杉の柩・1940年発表」では、お茶がキーポイントになります。茶の歴史を探る過程で、19世紀の後半にはわが町神戸にも、茶園が存在していたことが分かりました。

 

次の表は明治5年から大正7年における神戸港からの輸出実績表です。(神戸市史より)

 

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 ほぼ農業生産物が占めていますが、茶においては明治35年をピークに40年ほど茶の輸出が盛んであったようです。

 

 現在では想像すら難しいのですが、産地は旧葺合区・現在の中央区東部から、摩耶山の麓までの傾斜地に茶園が拡がっていたようです。

 白黒の地図明治18年参謀本部陸軍部測量局による地図です。カラーの地図は現在の同じ地域地図で、赤枠で囲まれた地域は、私が引いた茶園と思われるエリアです。

 

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 現在の中央区、旧居留地では、かって茶園で撮れた茶を精錬加工するための工場があり、多くの日本人が作業に従事していたようです。

 

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 2009年12月24日の神戸新聞に、ビル建設用地に明治の茶精錬の跡が発見され話題になった記事が掲載されています。

 

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 アガサの作品を調べると本当に様々な道の歴史を知ることが出来ます。整理の意味で徐々にupしていこうと考えています。

 

 

今回の資料等は、神戸文書館並びに当地でお茶の販売をされている静香園様にお世話になりました。ありがとうございました。