< アガサクリスティー作品の傾向 >

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彼女の作品”スタイルズ荘の殺人”が、世に出たのは1920年、持ち込んだ出版社になかなか認められず、あのアガサも新人作家として苦労された模様です。

次のグラフは年代ごとのアガサが発表した作品の数です。

 

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 この年より二年前、1918年に第一次世界大戦は終了しました。大英帝国と言われた英国もこの対戦を境に少しずつ、その国力の陰りが見えてきます。

 

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 これより20年間、ミステリーの黄金時代が訪れます。グラフでも分かるように、1920年から1940年代にかけて、アガサの作品量はピークを迎えました。

 第二次世界大戦が終わった後、アガサの描く英国は、新興国アメリカが小説の舞台に現れる機会が増えてきます。その訳は次回。

 

 

 

テキスト公開 4月14日 セミナー ナイルに死す その⑤

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 近世において、オスマントルコエジプト宗主国でしたが、イギリスは東洋の植民地へ通じる運河を領土に持つエジプトへ近づきます。

 1882年エジプト国内に起こった内乱(ウラービー革命)を収めるためイギリスは軍事介入します。同年9月13日、革命を鎮圧したイギリスはエジプトを保護国にしました。

 

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 第一次世界大戦後、オスマントルコからのアラブ独立を助けるため、イギリス軍人トーマス・エドワード・ロレンスが軍事顧問として活躍します。いわゆる「アラビアのロレンス」です。

 彼が実際にアラブの独立を願ったのか、あるいはイギリス軍の深慮遠謀な策略に忠実だっただけなのか、今もって不明です。ただ、中東の複雑な紛争の火種の一因は、イギリスの外交であったのは間違いないようです。

 


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こぼれ(た)話 アガサクリスティー自伝より。

私たちはコメディーフランセーズに連れていかれ、・・・中略・・・ 私はサラ・ベルナールを観た。(アガサ・クリスティー自伝 上巻 )

 

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アガサ・クリスティーのことを調べるため、自伝を読んでいるとフランスでサラ・ベルナールの講演を観たという記述に目が止まりました。

 女優サラ・ベルナールがどんな人物だったのか、まるで知りませんが彼女を描いた”ジスモンダ”は、偶然が生み出した作品だったそうです。

 

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 彼女が自分のポスターを所望した際、パリ(だと思いますが)には、主だった画家が休暇中で、ミュシャしかいなかったようです。やむ負えず描いた絵は評判を呼び、ミュシャにとっては出世作となったということです。
 偶然は世間ではまま起こることですが、アガサがベルナールと同じ空間にいたことを知ることも、偶然がもたらしたことで、少し感動ものです。

 

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これからのセミナー予定

 私のアガサ・セミナーは準備に3~4ケ月ほど必要としますので、年間2~3回が限度です。けれど、通算11回を経験した現在いわゆる持ちネタが7個(7作品)になりましたので、全く新規の方からお声が掛っても、以前よりわずかな準備で対応できるようになってきました。そんな状態で今年度のセミナーはあと3か所で行う予定です。

(2021年6月2日現在)

 

☆2021年9月(詳しい日は未定) 

会場・あすパーク 神戸市灘区     

内容・ミスマープルの作品(未定)

 

☆2022年1月12日 水曜日

会場 コミスタこうべ 神戸中央区   

内容・ミスマープルの作品   (未定・但し上記とは違う作品)

 

☆ 2022年1月19日 ㈬

会場 清風公民館・神戸市中央区    

内容 ”オリエント急行の殺人”あるいは”そして誰もいなくなった

 

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初めての方は有名な作品を、回を重ねられた方からは、ミスマープルの作品を取り上げて欲しいという声に、お応えする予定です。 

 

 

 

テキスト公開 4月14日 セミナー ナイルに死す その④

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18世紀前後からの産業革命は、物資(生産物・原材料)の輸送手段として、運河の重要性をイギリスに気づかせる”きっかけ”になりました。

動物(馬)を使った輸送から、後の蒸気機関車を使う輸送が中心となるのですが、一方大量の生産物を国外へ輸送できる船舶は、大変重要でした。

  

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イギリス国内での運河掘削工事によって、思わぬ副産物が生れます。地面を掘り起こすことで地質学草木学が誕生します。その結果イギリスにプラントハンターと呼ばれる植物学者が誕生したのでした。

彼らは遠く中国・インドへの生産地を求める旅に一役買うのでした。アジアへと進むにはエジプトに建設されたスエズ運河はイギリスにとって大変重要となりました。

 

 


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テキスト公開 4月14日 セミナー ナイルに死す その③

作品”ナイルに死す”の舞台は、ダイナミックでイギリス(おそらく郊外)カイロ・アスワン・ワディ・ハルファと多岐にわたります。まるで観光旅行に同行するような気分で作品を味わます。

 

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大河ナイルを登る船旅で何が起こったのでしょう? 次回のテキスト紹介では「イギリスとエジプト」の歴史についてお話いたします。

テキスト公開 4月14日 セミナー ナイルに死す その②

 この作品の舞台となっているエジプト並びにナイル川は、イギリスが開発に大いに関わっています。

 地中海と紅海を結ぶスエズ運河は、フランス人・レセップスによって建設されましたが、インドへの支配が必要なイギリスはこの運河の株を買収、エジプトも保護国に納めます。

 

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 世界で初めてツアー旅行を始めたイギリスのトーマス・クックは、観光船スーダン号でナイル川観光を始めます。

 アガサクリスティー本人も、オリエント急行に乗車する際、彼の旅行社を使用しています。 この豪華船で事件が起きるのですが、その伏線はイギリス本国に始まります。

 


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