テキスト公開 4月14日 セミナー ナイルに死す その⑤
近世において、オスマントルコはエジプトの宗主国でしたが、イギリスは東洋の植民地へ通じる運河を領土に持つエジプトへ近づきます。
1882年エジプト国内に起こった内乱(ウラービー革命)を収めるためイギリスは軍事介入します。同年9月13日、革命を鎮圧したイギリスはエジプトを保護国にしました。
第一次世界大戦後、オスマントルコからのアラブ独立を助けるため、イギリス軍人トーマス・エドワード・ロレンスが軍事顧問として活躍します。いわゆる「アラビアのロレンス」です。
彼が実際にアラブの独立を願ったのか、あるいはイギリス軍の深慮遠謀な策略に忠実だっただけなのか、今もって不明です。ただ、中東の複雑な紛争の火種の一因は、イギリスの外交であったのは間違いないようです。