次回、『教えてアガサセミナーNo.19』の資料を吟味中です。その1。

11月29日㈬、通算19回目に取り上げる作品は「パディントン発4時50分」。この作品にまつわる様々なエピソードを物色中です。何と言っても作品の準主役は、パディントン駅そのものです。ここから発車した汽車での出来事からストーリーが始まります。

 

 

さてこの駅から始まる世界的なお話はもう一つあります。それが「くまのパディントン」、南米ペルーから密航した(?)熊が“この熊をよろしくと書かれた札” ("Please look after this bear. Thank you.")とともに、パディントン駅に到着します。

ひときわ礼儀正しいくまは、親切な一家に連れられた彼はロンドンでの新しい生活が始まるのです。

 

映画『パディントン』予告編 - YouTube

創作ノート公開 No.2

〈教えてアガサセミナー〉

🎩 創作ノート整理

11月に通算18回目のセミナーを開きますが、20回を目の前にしてどんな風にテキスや信仰を考えてきたかを、自分で振り返ろうと思いました。

創作ノートを見返すことで、これからのヴァージョンアップにつなげようと思います。
まずは、ノートNo.2から。(No.1は支離滅裂で公開不適当ですので割愛。)

このノートは、『オリエンタル急行の殺人』と『杉の柩』について、色々と書き殴っています。セミナーを始めたころ考えていた愚にもつかない内容ばかりです。

 

 

 

 




 

 

 



 

 

次回、教えてアガサセミナーについて。

今年2回目、通算18回目のセミナーを開きます。
日時は11月29日㈯ 会場は神戸市灘区の“あすパーク様”で、行います。
今回取り上げる作品は、アガサのミス・マープルシリーズより「パディントン発4時50分」です(発表は1957年)。

テキストのイラストのようです
ミス・マープルの友人が偶然出くわした殺人現場から始まる、刑事コロンボを彷彿させる作品です。(コロンボのほうが後ですが。)
ロンドンのターミナル駅の一つであるこの駅にまつわる、もう一つのキャラクターはペルー出身(?)の熊のパディントンです。彼の眼を通したイギリスも参考にします。

 

9人、電車、ダッフルコート、オーバーコート、通り、テキストの画像のようです

 


『参考資料』
パディントン発4時50分 大門一男訳 ハヤカワ文庫
パディントンベアのロンドン案内 主婦と生活社

教えてアガサ・セミナー項目 さ行 スコットランドヤード No.1

ポアロと事 件を共に解決する仲間には、おなじみヘイスティング大佐とジャップ警部が欠かせません。有能ではありながら、奥様には頭が上がらないようで、時には勤務先のスコットランドヤードの部屋にも買い物以来の電話が、かかってきます。

 

 ジャップ警部のデビュー作は、「スタイルズ荘の怪事件 The misterious affair at Styles 1920年」でした。この作品はアガサ女史のデビュー作でもあり、同時にポアロ、ヘイスティング、ジャップ警部のそろい踏みした記念すべき作品です。

 

 

 日本の警視庁、治安機関の総元締めですが、イギリスではスコットランドヤードがそれに相当します。呼び名の由来は色々あるようで、初代の建物があった土地がスコットランド人が所有していた、建物の入り口(出口?)がスコットランドの名前に由来した道に面していた等、調べるときりが無いようです。

 

 イギリスの治安警察の系譜は、それなりの歴史があるようで、今回は歴代のスコットランドヤードの建物をご紹介するにとどめます。以降機会を見つけて調べて発表させていただきます。

 

 

 この組織の礎を築いたのは、ロバート・ピール。彼は時の内務大臣で犯罪が横行したロンドンの治安を立て直すために、中央治安機関の構想を議会に訴えました。

 

初代スコットランドヤードの建物 1829年ごろ

 

二代目スコットランドヤードの建物1891年ごろ

 

現在のスコットランドヤードの建物 1967年移転。

 

今回の参考資料は次の通りです。

アガサクリスティー百科事典 数藤康雄・編 ハヤカワ文庫

イギリス文化55のキーワード ミネルヴァ書房

スコットランド・ヤード物語 内藤 弘氏著 晶文社

 

ありがとうございました。

 

教えてアガサ・セミナー項目 あ行  アヘン

 

ミスブレントのせりふ そして誰もいなくなった No.4 page11より


近頃の者はなんでもないことに騒ぎ立てる。歯を抜くときに麻酔を要求する。眠れないと薬を飲む。
Everyone made such a fuss over things nowadays. They want injections before they had teeth pulled. They took drugs if they couldn't sleep.

そして誰もいなくなった No.4 page11より

 

作品「そして誰もいなくなった」に登場するミスブレントは信仰深く頑なな夫人です。

老人にありがちな新しい物への不快感を、アガサ女史は鋭く観察しています。

 

 しかし、麻酔薬が当然の現在から考えると、当時はそういった処置もなく医療処置がなされていたわけです。恐ろしい話です。麻酔薬の歴史は19世紀に始まるようで、植物から抽出したアヘンや大麻が使われていたそうです。

 

深刻な副作用を持つこれらの薬(?)から化学物質へと進化しました。

 

 

 これらの進化過程においては、やはり無知からくる弊害が多くみられ、19世紀史イギリスでは、子供でも簡単に阿片(薬品名・阿片チンキ)が手に入ったようです。

 

 

 この時代、イギリスは茶の輸入を巡って輸入元の清国との間に悪名高い「阿片戦争・1840~1842」を引き起こします。

 21世紀の感覚からすれば、本当に非道なやり口ですが、当時のイギリスにおいては、阿片の害毒性よりも痛みから解放される効能を重視していたのかもしれませんね。「常識の相違」は、空間的と時間的に現れるようです。

 空間的とは、地域による違いで(ケンミンショーで、よく見られます)時間的とは、現代と過去においての違いのことです。禁煙やLBGTへの考え方も時間に依って変化するように。

今回お世話になった資料は、ヴィクトリア朝百科事典 谷田博幸氏著 河出書房新社 です。ありがとうございます。

 

 

ナゲルマ・ケーレス  オリエント急行を創った男の野望

 1845年・資産家の家庭に生まれたベルギー人、ナゲルマケーレスはアメリカへの遊学の後、1883年に長距離豪華列車、オリエント急行を創設します。

 

 

 20世紀になって彼はある目的をもって来日、100日間も日本に滞在します。その目的は満鉄こと「南満州鉄道」に乗り入れることでした。すでにシベリア鉄道への乗り入れをロシアと合意していた彼は、さらに満鉄に路線を伸ばし大連、奉天、そして朝鮮、日本の山陽、東海道へとつながる構想を持っていたといわれます。

 

 

 本当に壮大な計画ですが、ロシアの日本への影響を危惧する当時の日本側は簡単には受け入れられない話でした。

 

 アガサクリスティーの作品を調べていくうちに、思いがけない歴史の裏話にたどり着きました。興味深い話に遭遇するのも彼女の作品の深さ由来するようです。

 

今回の参考文典 

世界鉄道文化史 小島英俊氏著 講談社学術文庫 ありがとうございました。

 

 

パディントン発4時50分

次回の教えてアガサセミナーが終われば、年内もう一回セミナーを開こうと思っております。候補に挙げている作品はミスマープルシリーズ『パディントン発4時50分』です。

 

 

1957年発表、マープル物としては、第7作目になります。クリスティー作品において冒頭に提供される状況設定はショッキングで、『葬儀を終えて』と並ぶ秀逸な作品と思います。

 

個人的には、『オリエント急行の殺人』のような密室殺人とは違いますが、鉄道発祥のイギリスらしい読み応えのある作品です。

 

画家ウィリアム・パウウェルの作品でも知られたパディントン駅は、1838年開業イギリス西部への連絡に利用されました。

 

 

 



 

 

今回、参考にさせていただいた資料

国鉄道物語 小池滋氏著 晶文社 第3刷です。ありがとうございました。