なぜ、オリエント急行には、あらゆる国籍の乗客がいたのか? その②

 次にご覧いただく動画は、おなじみ映画<タイタニック>の一場面です。デュカプリオがケイトウィンスレットを船底の客室で行われているパーティーに誘う場面。(2分19秒付近)

 ご注目頂きたいのは、ダンスシーンです。ほんの少ししか映りませんが、タップダンスを踊っています。


タイタニック マイハートウィルゴーオン

 

 この後、タイタニック号は氷山に衝突後、沈没してしまいます。時は、第一次世界大戦を2年後に控えた1912年です。1900年からこの時期、ヨーロッパからアメリカに渡った移民の数は800万人から600万人を数えます。次のグラフはアメリカへの移民分類を表したものです。

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 お気づきでしょうか? ヨーロッパからの移民は1840~1850年に、その始まりを見ることが出来ます。この時期にヨーロッパに何が起こったのでしょう?

 *この項(なぜ、オリエント急行には、あらゆる国籍の乗客がいたのか?)は、次の著書を参考にさせていただきました。

世界史を移民で読み解く 玉木俊明 日本放送協会

移民社会アメリカの記憶と継承 矢ケ崎典隆 学文社

移住・移民の世界地図 ラッセル・キング 丸善出版

タイタニック号の最後 ウオータール・ロード 筑摩書房

移民大国 アメリカ 西山隆行 筑摩書房

図説 世界史を変えた50の植物

(以上 敬称略)