人生がまるで一方通行みたいなものよ。
アガサクリスティーの作品の魅力はもちろんトリックやストーリーの斬新さや思いもつかない結末にあるのですが、深く考え込んでしまうほどの“人間描写”にもあると思います。
それはまあ、残酷なほどの辛辣さを含むときも度々です。矛先が同性である”女性”、同国人たる”イギリス人”には、しばしばそこまで言わなくてもと、思う文章に出会います。
以下は「鏡は横にひび割れて」より、ある登場人物(中年女性)に向けた表現です。
「そうとも限らないわ、たいていの人は一種の防衛本能をもっているものよ。相手によっては、相手の性格によっては、こういうことを言ったり、してはいけないと悟るだけの賢さがあるわ。ところが、アリソン・ワイルドは自分以外の者のことなんか全然頭になかったわ。-自分のしたこと、感じたこと、見たこと、聞いたことは、話すけど人の言ったことやしたことを口にしたことのない人間だったの。人生がまるで一方通行みたいなものよ。-自分がその道を歩いているだけ。そういう人にとっては他人は—そうねえ--部屋の壁紙程度にしか思えないのよ。」
Not, quite. Said Miss marple. Most people have a sense of protection. They vealise when it’s unwise to say or do something because of the person or person who are taking in what you say and because of the kind of character that those people have. But as I say, Alison Wilde never thought of anybody else but herself – She was a sort of person who tells you what they’ve done and what they’ve seen and what they’ve felt and what they’ve heard. They never mention what any other people said or did. Life is a kind of one-way track just their own progress through it. Other people seem to them just like – like wall paper in a room.
我が家は結婚30余年ですが、こういう文章にハッとさせられます。反省しきりです。